「プライドがあるのか分からない」
自信に満ち溢れた発言をあまりしない私は、大学でよくそう言われる。
しかし、本質は違う。
実際は負けず嫌いであり、もしかしたら人よりプライドが高いのではないかと自分では思う。
そしてたぶん自分のプライドはタチが悪い。
他の人より劣っている部分を見つけるのは嫌だし、できないことを他人から指摘されると無性に気分が悪くなることもある。
しかし、私はそれを大学に入ってあまり表には出さないようになった。
理由は、良く言えば協調性を重んじているから、悪く言えばプライドが理由で嫌われたくないから、といったところである。
このひねくれたプライドの高さを律するためのネガティブ発言なのである。
この意識のおかげで、プライドを抑えることに成功し、自然と謙虚さは身についた。
気づけば、この謙虚さが私の長所とも言われるようになった。
ここだけ見れば、すごく良い形で成長したように思える。
しかし、私はこの意識がサッカーにも影響してしまう。この謙虚さと、失敗によってダメージを負ってしまうようなプライドが、なぜかプレーを消極的にさせてしまうのである。
恥ずかしいほど不器用だ。
自分はまだ上智大学体育会サッカー部に所属する1人のプレーヤーである。だからもちろん試合に出場して活躍することを目標としている。
しかし、殻を破りきることがずっとできず、なかなか上手くいかないことばかりだ。だから、潜在的に持っているプライドの形を変え、貪欲さを磨いていきたい。
謙虚さと貪欲さをどちらも向上させ、サッカーにおいても常に両方を兼ね備えられるようになることが、残りの今シーズンの目標である。
いきなりこのような話題を取り上げたのは、最近の自分の成長のベクトルに違和感を感じたからである。そしてそれを踏まえた目標をこの場で掲げさせてもらった。
自分が体育会の部活動に入部した理由は、「自分の成長のため」と答えている。
高校の部活動で、サッカー以外にも多くのことを学び、これらが今の自分を構築していると思っている。そんな経験を大学でもしたいと考えた、というのが入部の経緯である。もちろんサッカーを楽しみたいというのは前提として。
結果的に、組織の一員であるという責任感や、自分にできる形で部に貢献することの重要性など、様々なことを学ぶことができている。
部活動の経験で得られたものは何かと聞かれれば、考えれば考えるほど出てくる。
では、サッカー選手としての成長はどうなのだろうか。
毎日のように成長を実感できているだろうか。そう考えたときに、自分はまだ成長できる、自分の向上心にはまだ先があるはずである、と思った。
自分が上智大学体育会サッカー部に所属できる期間も気づけばあと1年となった。
体育会サッカー部に所属する期間が短くなったということは、サッカー選手としての区切りも見えてきたということである。
部活の経験から得られた教訓の恩恵を感じることは、きっと今後もできるだろう。しかし、プレーヤーとして輝くことができる時間はもう少ない。
このまま殻も破れずに終わったら、プレーヤーとしては不完全燃焼で終わるに違いない。
後悔を残さないように、そして殻を破ることでまた一段階成長できるように精進していきたい。
以上、3年の大山朝生でした。
最後まで読んでいただいた方、ありがとうございます!
次回は、熱い闘志を持ったファイターであり、めちゃくちゃクールな一面を持った頼れるDF、2年の中尾竜吾です。