学生主体の組織で関東昇格を目指すーーー。初めて練習に参加し、それを耳にした時、率直に憧れを抱いた。
自分からサッカー選手としての価値を差し引いたときに残る何かを模索するために大学に来た。学生主体であれば、チームを強くするために、自身が貢献できることを考え、自分の裁量でチームに還元していくことができる。スタッフであれ、分析官であれ、サッカー選手としてではない形で組織貢献できることに魅力を感じていた。
練習体験の日。練習後に、一つ上の先輩たちに誘われ、ご飯に連れて行っていただいた。その時にサッカー部の組織体制について伺っていると、サッカーに関して全般的にマネジメントする少数精鋭の課があることが分かった。そして、2年生になったら、南出も関わっていくんだろうな、と言われたことを覚えている。
サッカーに対し、選手以外に貢献できるとすれば、マネージャーか分析か、あるいは練習指導に携わり、選手を活躍できるようにして、チームを勝たせることだ。まさに自分が挑戦してみたいことだった。通常は2年生から課に関わっていくのを、入部して1週間くらいで、当時の4年生に志願して入れてもらった。
はじめて、公式戦のスカウティングを任せてもらい、資料を作り、全体に共有する。振り返れば些細な貢献だが、自分の存在価値を認識できた瞬間だった。練習では、ボール拾いもやったし、たまにチームの課題を提言し、練習メニューに活用していただいたこともあった。プレイヤーとして生きてきた自分にとって、組織の上流に関わり、チームの基盤になれることに誇りをもっていたし、満足していた。
ところが、この感情があることをきっかけに一変した。東京都リーグで1勝もできず、2部に降格した経験である。どんなにスカウティングを頑張っても、分析を頑張っても、練習メニューを提言してもチームが勝つことはなかった。負けが重なると、引くくらいチームの雰囲気が悪くなっていた。週末の公式戦で負けて、火曜日の授業後に同期の愚痴を聞きながら駅まで歩き、木曜日の練習後のミーティングで、「〇〇が不満をこぼしていた」、「○○が評価について文句を言っている」そんな内容の話をして、週末の試合を迎えるという状態だった。結局、チームは一度も勝てないまま、シーズンを終えた。自分がやっていることに違和感を感じたのもこの時だ。
違和感の正体は、自分の「変わらなさ」だった。というのも、大学で1勝もできずに降格した経験に近しい経験を高校でもしていたからだ。そしてその時の学びが活きたわけでなく、実際に起こした行動が全く変わっていなかった。高校時代に17年連続全国大会出場、4年連続全国ベスト4という歴史的な記録を途絶えさせた経験がある。チームの雰囲気は悪く、自分を含めチームに不満をこぼす部員が多くいた。不満や愚痴を聞く役になることは多かったが、チームに対して思うことがあっても、それを提言し、改善のために行動を主導することはなかった。大人の権力におもねり、愚痴を聞く良い人を演じるだけで、自分から発信して、行動を起こすわけでもなかった。常にサポート側で、周りの調整だけして、雰囲気を乱さないように忖度するだけだった。17連覇が途絶えたあの時、確かに「組織のために責任をもって行動する」と誓ったはずだった。実際に、大学1年から自分で考えて行動してきたと思う。それでも結局、責任のかからない安全地帯から組織を支えているだけだった。そんな自分の違和感に気づき、変わる決意をした。組織で自分が一番責任のかかるところで動き、改革に伴う痛みや批判に耐える覚悟を決めた。
改革といえど、華々しい言葉だけでは組織は動かない。行動で人の心を動かすことで初めて組織は動く。そのため、組織が抱える現状の問題に対して、泥臭く行動することで信頼を勝ち取ろうと考えた。そのために、同期がチームにぶつけていた不満、4年生がふとこぼした悩み、一つ一つの言動を振り返り、ひたすら書き出した。
これまでは、4年生が選手として練習しながら、同時に全体に指導を行うという指導体制をとっていた。その指導体制の下では、練習中の余裕がない状態で他人へのコーチングまで気を配ることができずに、指導が疎かになっているという問題があることが分かった。実際に、「最高学年になると、やることが多すぎて余裕がなくなる」と口にする4年生をずっと見てきた。
サッカーをやりにきているのに、サッカーに向き合えないような体制があってたまるか。
自分の時間を犠牲にして、相当な苦労で組織をまとめてきた4年生を身近で見てきたからこそ、自分が変えないといけないと決心した。加えて、上智は専用のグラウンドを持っていない。週6の活動でまともなグラウンドを利用できるのは2回程度である。練習量に不利があるため、成長サイクルを高速で回していくことが不可欠だった。そのために、練習後に正しく振り返りを行い、それを評価し、次の練習にてフィードバックする成長システムの構築が必要だった。これらを解消できれば、チーム状況が必ず良くなり、結果も内容もついてくると信じていた。そして解決するためには、自分が学生監督を担い、組織を動かしていくことが最適解だと考えた。
まず、学生監督を幹部や上級生に認めてもらうところから自分の挑戦は始まった。結論、この過程に1年かかっている。学生監督を任されるには、まず4年生の幹部を説得して、最高学年が練習メニューや選手評価を実施する組織体制を変える必要があった。というのも、従来は4年生全員が練習後に協議し、日々の練習や指導を決めていくスタイルだった。そのため、2年生である私が上級生を動かしながら、組織を牽引すること自体に前例が存在せず、「待った」の声がかかった。不運なことにコロナ禍も重なり、そもそも活動ができず、いったん自分の挑戦は頓挫した。完璧に組織体制を変えることができたわけではないが、この提言をきっかけに最終的には4年生の幹部と一緒に、指導体制を牽引していくことに決まった。ありがたいことに、当時の幹部は自分に多くの経験をさせていただいた。自分の意見を発信して、組織を動かす機会をくれた。思い通りに改革することはできなかったが、チームが変わっていくきっかけをつくることができた。
3年生になると、このシーズンは「1部昇格」が絶対条件だった。チーム内で目標が協議され、2部優勝と、1部で戦えるチーム作りが求められた。昨年は叶えられなかったが、今度こそ組織体制を変えようと動いた。しかし、当然のように「待った」の声がかかる。4年生主体の指導体制を維持するか、それとも自分が学生監督を担うか、ここが中々決まらなかった。伝統は大切だし、4年生の感情は痛いほど理解できる。彼らは下級生の頃から、チームの分析やスカウティング業務を練習と両立しながらこなしてきた。先輩から頼まれた業務を、「チームのため」と一切の不満を言わず愚直に取り組んできた方たちだ。そんな下級生時代を過ごし、やっと最高学年としてチームを動かしていけるとなったときに、4年生主体の組織が変わり、後輩が学生監督という役割を担うとなれば、それを認めることが難しいのは当たり前だった。このとき感情に忖度するのは簡単だった。それでも自分がここで折れたらチームは終わる。そう思えば簡単に決意をぶらすわけにはいかなかった。結局、意見は割れたままだったが、数週間話し合いが行われて、最終的に幹部が後押ししてくれた。
こうして始まった改革が結実し、昨年東京都リーグ2部で無敗優勝を成し遂げることができた。高校年代では都県の3部リーグに所属したり、強豪で試合に出場できなかったりしたようなプレイヤーが大半を占めるこの組織でも優勝を成し遂げることができた。成功の鍵は、間違いなく信頼関係と次世代へと上智サッカー部を繋ごうとする想いだった。
橋本主将や五十嵐GM課長は、1年目の自分に、組織運営のいろはを叩き込み、チームをどう動かすか学ばせてくださった。隈元主将や押田GM課長は2年目の自分に裁量を与えて、組織の一部を動かす経験をさせてくれた。3年目で伝統の組織体制を変える決断をしてくれた羽藤・池田・中村幹部や古宮GM課長がいた。自分たちの可能性を信頼し託してくれた先輩が多くいたからこそ、昨年優勝することができた。いつか上智が関東リーグに昇りつめて、名だたる猛者たちと鎬をけずることを夢見て、自分たちを犠牲にしてまで繋げてくれた大切なバトンである。私には、脈々と受け継がれてきたこのバトンを、次の世代、その次の世代へとより良い形で繋ぐ責任がある。
その想いもあり、今年はAからCチームまで全て同じコンセプトでサッカーすることが決まった。単純計算でも自分が担当する選手が2倍になっている。負担が2倍になった状態で、練習の準備をする。試合を大量に見て、どうすればボールを奪われずゴールに辿り着けるか深掘りした。実践形式のケーススタディを練習に取り入れ、上手くいかなかった部分を何度も練習し直した。練習後には必ず振り返りをして、フィードバックをノートにまとめて、チームや選手一人一人の問題の仮説を考える。それをもとに、次の日の練習や指導を決める。朝早く家を出て、練習に行く。
重大な責任感にモチベーションを感じられない性格であれば、とっくに辞めていたと思う。それでも続けていられるのは、このチームを長期的にどうしていきたいかに対して、愛情があるからだ。
1年生では、年間1勝もできない苦しい経験をした。2年生のリーグ戦では、勝点1差で昇格を逃したことで、勝負の厳しさを痛感した。3年生で妥協なく練習し続けた結果、優勝を成し遂げることができて、努力は報われるという最高の体験を得ることができた。上智の紆余曲折を経験している世代だからこそ、よりいっそう上智を未来に繋いでいく責任が高まっていると理解している。
受け継がれてきた数々の「想い」を繋いでいき、「熱量」でひとつひとつ結んでいく。
これは、サッカー人生最後の決意表明である。最後に、何としてでも関東リーグを目指せるチームをつくる。次世代の上智が関東の舞台で、活躍する姿を本気で信じている。90年という長い歴史を繋いでくださったOB OGへの感謝と、次世代を担う後輩達への期待を込めた、覚悟のシーズンである。
学生監督/南出
次回のブログ担当者は、水原です。今年のエースになり得るポテンシャルの持ち主。一緒に良いシーズンを作っていこう。