皆さん、こんにちは。
昨シーズン副主将を務めさせていただきました、法学部法律学科4年、小堀 耕太郎です。
高校3年の終わり、テツに誘われて行った上智大学体育会サッカー部の練習会。
真田堀グラウンドでテスト期間中の先輩方と混ざり行ったミニゲーム。
緩すぎてつまらなかった。
その日の帰り、永田町の飲食店で、入学前から入部する気満々だったテツに、
「あの感じなら入部しないかな」
と言った覚えがある。
上智大学体育会サッカー部に入部した理由は?
「自分の性格的にサークルは合わないと思ったから。」
「テツに練習会に誘われ、参加したからその流れで。」
後から考えた格好の良い理由は、
「サッカーを続けるのであれば、本気で取り組める環境が良かったから。」
「高校までの恵まれた環境とは異なり、敢えて厳しい環境に身を置くことでより一層成長することが出来ると考えたから。」
引退してから感じること。
あの時、なんとなく入部した自分だけれども、
「上智大学体育会サッカー部に入部して本当に良かった」と心の底から思える。
高校までの素晴らしい環境とのギャップに戸惑いながらも始まった大学サッカー生活。
前期の明学戦で都リーグデビュー。東京都1部リーグの舞台で数試合プレーさせてもらった。
関西合宿にも連れて行ってもらい、1年目から様々な経験をさせてもらった。
そして、同期数名と1年間組み続けた荷物。粗相回避の為にどれだけ頑張ったか。
毎日誰かしらに文句を言われ、時には何かを勘違いされ悪者にされたり。
大心と朝生と3人で愚痴を言いながら食べた朝霞駅近くの餃子、鮮明に覚えている。
主力として多くのリーグ戦に出場した2年目。
コロナの影響により、オンライントレーニングの日々が続き、後期から始まったリーグ戦。
一番の出来で、みんなに賞賛してもらった一橋戦、
自分のファールで取られたFKを直接決められて負けた東大戦、
何もできず南出に前半で交代させられた武蔵戦。
印象的な試合ばかり。
そして、試合のメンバーに選ばれ続ける為に、自分に出来る準備を積み重ねた結果、
充実した1年を過ごすことが出来た。
少しずつ都リーグの出場機会が減った3年目。主戦場は、Iリーグへ。
Iリーグに行く前に南出に言われたこと。
「Iリーグでの活躍次第で都リーグのメンバーに戻す。」
自分が必要とされている中でのサッカーは、伸び伸びとプレーでき、強みが出せた時には自然と結果もついてきた。
最終節の筑波戦、4年生のみんなと泣いた試合後の光景、一生忘れない。
そして、都リーグ最終節、東工大戦の前日、全体LINEのメンバーリストに自分の名前があった。半年間の努力が報われた瞬間だった。
サッカー人生の集大成に「最高の終止符を」という想いで、副主将として挑んだラストシーズン。
18年間の中で1番難しく、苦しいシーズンになった。
都リーグの出場時間は、東農との開幕戦、後半途中から出場した20分くらい。
そして、これまでほとんど怪我をしたことがなかった自分が、3カ月の離脱を強いられた。
「明日の連絡」を定時に流し、何かしら発生する事務作業の処理を行う毎日。
週末は、小堀れと中村ゆをリーグ戦会場まで車で送る送迎係。
「自分がこの仕事をやらなければこの部はまわらない」
と自分に言い聞かせ、サッカーが出来ない日々をなんとか乗り切った3カ月間になった。
復帰後の3カ月間は、小熊の下で、ジュニアリーグを戦った。
練習から試合直前のアップまで最高の雰囲気で準備をしてきたが大敗してしまった慶應戦、
メンバー入りに向けて鎬を削り合いスタメンを勝ち取ったものの勝てなかった朝鮮戦等、悔しかった試合はたくさんある。
でも、それ以上に、1年生の時の自分、怪我をする前の自分に比べて、プレーの幅が小さくなっている自分自身に一番悔しさを感じていた。
「もっと出来たはずなんだけどな」
そんな想いを抱きながら、3カ月間を過ごし、引退してしまった。
そして、引退した今、思うこと。
「サッカー選手としての価値を過信しすぎていたのではないか。」
入部早々からAチームでプレーさせてもらい、リーグ戦にも出場させてもらった。
その後もAチームでプレーし、様々な経験をさせてもらった。
でも、それは、「桐蔭学園」という出身校のブランドが自分を大きく見せてくれていたおかげであって、自分の能力自体はそんなに高くなかったのかも。
高校の時までの自分のようにもっとサッカーに向き合って、
置かれた状況で最善の努力を尽くし、トレーニングに励んでいたら、
もっと上手く、強く、チームに必要な選手になれたのではないか。
そんな後悔の残るラストシーズンになった。
上智大学体育会サッカー部に所属する人間は、常に「主体性と思考」が求められる。
そんな環境で過ごした4年間は、自分を大きく成長させてもらった。
自分だけに向いていたベクトルを周囲、そして社会に向けることが出来るようになった。
高校生までは当たり前のように日々与えられる環境で自分の力量を上げることだけを考えてサッカーに打ち込んできた。
でも、この4年間は、全てを学生主体で活動する中で、運営面などサッカー以外の事にも目を向け、主体的に行動してきた。
その結果、視野を広げることが出来た。
上智大学体育会サッカー部で得た1番の学びを共有しておく。
「自分のその言動や行動はチームの為になっていますか。」
先輩の皆様、謝らせてください。
入部当初から、自分の不適切な言動や行動により多大なご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ございませんでした。
後輩のみんなは知らない姿だと思う。
僕は、ギラギラする事と文句や不満を言う事をはき違えていた。
メンバーから外された時、自分、そしてチームのプレーが上手くいかなかった時、
毎日のように、不貞腐れ、態度や言動でそれをあらわしていた。
今、当時の自分を思い出すと、本当に恥ずかしく、申し訳ない。
スタメンで試合に出たい、メンバーに選ばれたい、その想いを強く持ち、日々サッカーに取り組むことは非常に大事だと思う。
でも、その想いが強いが故に、不適切な言動や行動をとってしまった時、それはチームにとってマイナスにしか働かない。特に学生主体の組織においては。
当事者である自分が伝えるのもおかしいとは思うが、
この部活には文句や不満を言うくせに、自分にベクトルを向けられていない人が多すぎる。
まだ気づけていない後輩たちに言いたい。
「その言動や行動はチームの為になっていますか。」
「チームの雰囲気を悪くしていませんか。」
文句や不満が発生すること。それは当たり前であり、仕方がないこと。
でも、その不満を発するべきなのか、行動に移して良いのか。
文句や不満を言えるほど、日々サッカーに取り組めているのか、部に貢献できているのか。
様々な先輩方に指導を頂き、幹部を務めてきた中で成長した僕からの忠告です。
「自分の言動と行動には、責任を持つこと。」
上智大学体育会サッカー部は、
日々様々な人が行動して、サッカーをする環境を準備してくれている。
だから、活動が出来ていることへの感謝、裏にある苦労というものを忘れずに過ごすこと。
そして、より一層この組織が良くなる為には、それぞれがもつ個性を存分に発揮する必要があると思う。その個性を発揮できる、自分の居場所をしっかりと見つけていくこと。
何かに取り組む度に、しっかりと信頼も獲得すること。どの組織にいても、特に学生主体の組織において、お互いの信頼関係は大事だと思うから。
その為に、当たり前を当たり前にすること、相手の求めている以上の行動をすること。
部員それぞれが信頼を得る為に何が必要か考えること。
任された仕事、やりたいと言った仕事は、しっかりとやりきる。それができないと、それ以上大きな仕事は任せてもらえない。逆に、それができるなら、より大きなことにチャレンジできる。
一人一人が一つ一つのことにきちんと取り組むことが出来れば、部としてより大きなことにも挑戦できると思うし、より魅力的な組織になれる。最低限のレベルが上がっていく。
当たり前のことを当たり前に、最低限をしっかりやること。
部の為に行動しくれている人が活動の裏には
たくさんいるから。
そんな想いを忘れずに、日々活動すること。
上智大学体育会サッカー部での4年間を通して、
サッカー選手としてサッカーをする上で、
人間として日々生きていく上で、
当たり前のことであり、その分、普段は中々
気づくことの出来ない
「大切なこと。」
それに気づき、忘れかけていたものを日々痛感させられてきたからこそ、
自分は大きく成長することが出来た。
だからこそ、引退した今、
「上智大学体育会サッカー部に入部して本当に良かった」と心の底から思える。
同期へ
4年間ありがとう。
自分も含め、癖があり、キャラの濃すぎる、同期がいてくれたからこそ、
何年経っても色褪せることのない、そんな素敵な4年間を過ごすことが出来ました。
これからは、それぞれのステージで生きていくことになるけれど、各々の個性をしっかりと発揮して、共に頑張ろう。
テツ
7年間ありがとう。
全体練習が終わった後の自主練習でお互いに努力し続けたこと、絶対に悔しいはずなのに試合に出始めた自分を応援し続けてくれたこと、くだらない事で喧嘩したこと、最後の試合で同じピッチに立てたこと、色んな瞬間が大切な思い出。
これからも宜しく、そして共に頑張ろう。
陽、大心、颯へ
1年間お疲れ様。
毎日のように問題が発生した1年間、間違いなく大変だったし、辛いこともあった。
でも、警備員さんに追い出されるまで部室で話し合ったことや秦野で21時まで語り合ったこと等、本音で話すことが出来る環境があったからこそ、3人に支えられ、最後までやり遂げることが出来た。本当にありがとう。
話したがりな4人の幹部ミーティング、次はいつ開催できるかな。
蓮へ
サッカー人生ラストシーズンに同じチームでプレー出来たこと、本当に嬉しかった。
デビュー戦になった立教戦での活躍は、正直驚いた。こんなに出来るのかと。
それから、毎週末上智のゴールを守る姿、頼もしかったし、尊敬してた。
そして、毎日のように訪れるグラウンドに向かう移動中の会話、
生活の中ではあまり聞くことの出来ない本音を聞ける時間で楽しかったし、貴重だった。
またいつか聞かせてもらおうかな。
これからも守護神として上智を勝利に導いて、
「このチームを関東に昇格させたい」その目標叶えてね。期待してる。
両親へ
18年間もサッカーを続けさせてくれてありがとう。
2人の期待に応えることが出来ていたかわからないけれど、こんなにも充実したサッカー人生を送ることが出来たのは、日々のサポート、応援のおかげです。そして、何より、進路選択など、重要な決断の際に、自分を常に正しい方向に導き続けてくれたおかげだと思います。これからも、2人が他の人に紹介したくなるような自慢の息子になれるよう、日々成長していきます。今後とも宜しくお願いします。
そして、サッカー、18年間ありがとう。
サッカーには、自分を大きく成長させてもらいました。
これからは、選手としてではなく、また違った形でサッカーに関わり続けようと思います。
「これまでの自分のサッカー経験を還元する」
抽象的な目標であるし、自分に何が出来るかわからないけど、これまで育ててもらったサッカーに対して自分なりの恩返しが出来たら良いなと思います。
僕のサッカー人生に関わってくださったすべての皆様、本当にありがとうございました。
次は、共に副主将を務めた伊藤 大心です。
彼は、闘志溢れるプレーでチームを勝利へと導く、上智のデュエル王。
そして、懐に入るのが非常に上手く、先輩後輩同期全員に親しまれる性格の持ち主。
ただ、僕は知っています。
どこかに載せるわけでもないのに、1人でYouTubeの撮影をしていたことや、
試合前日の夜、寝ている間に〇〇してしまい、ママにお世話になったことなど。
新砂の朝練に一緒に向かいながら彼の裏側を聞いていた時が懐かしいです。
そんな彼の引退ブログ、皆様お楽しみに。