声が低く、私服が黒のシャツに黒のズボンに黒の革靴である、おしゃれの尺度は人それぞれだと認識させてくれる系GKの来栖 巧弥から紹介を与りました、田崎 隼太郎です。
僕は今年になり、プレーヤーから学生トレーナーに変わった。理由としてはたくさん存在するかもしれないが、そのうちの1つに紛れもなくプレイヤーでいることのプレッシャーに耐えきれなくなったということがあると思う。つまりは「逃げた」ということだ。この事実からは逃れられない。
プレイヤーの時は自分のプレーに満足することはほぼなく、常にミスを怖がりながらプレーをしていた。このようなプレッシャー、ストレスに耐えきれずに学生トレーナーとしてやっていこうと思った自分は紛れもなくいる。
もちろん、自分が活躍するよりも誰かが活躍するのを支えることにやりがいを感じ、もともと筋力トレーニングが趣味で身体のことに興味があったことも理由ではある。しかし、そんなのは多分綺麗事であり、自分が逃げたことを正当化するためにいくらでも用意できる理由であるとも解釈できる。
ただ逃げで学生トレーナーになったというとそれはトレーナーという職に対して失礼であり、選手に対しても失礼であるため、少し語弊がある。学生トレーナーとして活動していくと決め、自分の弱さと向き合えた時から、全力で選手を支えようとより強く思えた。
また、元々プレーヤーとしてやってきて、その厳しさを体験してきたからこそ、日々練習に励んでいる選手1人1人に対して心からリスペクトしている。練習でうまくいかず、テンションが下がりながら学生トレーナーの僕に「今日はプレー最悪だった!クソだった!」と不満を漏らしながらも次の日にはグラウンドに来てまたしっかり練習をする。そんな理想と現実の差に打ちひしがれながらも、負けじと日々闘っているプレーヤーが今はかっこよすぎる。みなさん、自分が思っているより、サッカーに向き合う姿勢がクソかっこいいです。嫉妬さえ覚えるくらい。選手としてこの部活に関わることはもうないが、こんなクソかっこいい選手たちをサポートできることにありがたみを感じるし、やりがいがある。
もちろん学生トレーナーとして活動することを決断したことに後悔はないし、誇りを持って選手のサポートをしている。そのようなことを認識できた出来事の例として、つい先日、サタデーリーグの試合で人数が足りないために、学生トレーナーでありながら副審デビューをした。上智を応援したい気持ちが山々だったが、審判たるもの冷戦にジャッジしなければならないという残酷な状況下に置かれている中で、上智が開始早々から攻められるという苦しい展開が続いていた。しかし、溝邊 岳都の劇的なゴールが決まった。その時に思わずガッツポーズをしてしまった。しかも両手で(上智自陣の副審をしていたため、ジャッジに影響は出ていない)。これは審判としてあるまじき行為であり、謝罪したい。申し訳ありませんでした。
ただこのガッツポーズは本当に心の奥底から反射的に出たものであり、防ぐことは無理だった。心の底から嬉しかった。言葉では上手く説明できないが、ここまで本気でチームの勝利を渇望できていることを認識できたし、これは選手の時以上のものである。選手の時よりも遥かに選手をリスペクトし、勝利を渇望している。こんな気持ちになれたのは学生トレーナーになったからだと思う。
とにもかくにも現在出来ることを最大限考えて、選手が最高のパフォーマンスをできるために全力を尽くすのみである。
大学に入りながらも体育会に所属するというクレイジーな集団の一員でいることをこれからも誇り続けよう。頑張ろう上智。
次は、ブログの冒頭の僕の紹介文を確実に面白くして、笑いをとってくれる系レフティーの鈴木 陽太君です。