こんにちは。古山から紹介を与りました、3年高野陽です。
愛するアーセナルがクラブ史上ワーストのド派手なスタートを切り、毎日練習の度に罵られる日々が続いていますが強く生きていこうと思います。
3年の夏という進路を考えなければいけない時期になり、自分がこれまでに経験してきたことを言葉にして相手に伝えるという必要性に迫られました。それに加えて、学年MTGなども重ねてきて来年のチームについても今までより考える機会が多くなりました。改めて自分がサッカーを通して得てきた財産は何なのかとかこのチームでの役割だとか抽象的なことに関して考える日々が増えました。
そんな中で感じたことをつらつらと書いていこうと思います。
大学生になりサッカーを続けていると今まであまり遭遇してこなかった言葉を頻繁に目にするようになりました。
「言語化」
この「言語化」の最たる場としてこのような部員ブログがあるわけですが、高校までの生活とはガラリと変わり好きなように過ごすことができるからなのでしょうか。
大学生になり体育会とサークル、社会人という複数の選択肢が出てきたからでしょうか。
年齢的になぜサッカーをするのか、体育会でやる意味は何なのかということを考える必要性が出てきたからなのでしょうか。
分かりそうで分からないですがとにかくそういう機会は増えました。
そして自分も漠然とそうした「言語化する必要性」に触発されてたまに考えるようになりましたがどこか腑に落ちない部分があり何でか拭えません。
一旦このことは置いておき、最近のMTGや同期などとの話を通して感じることは体育会でやる意味って真剣にやる以上、嫌でも自分の弱さや甘さと向き合う機会がより多くなり、必然的に普通に日々を過ごしているより人間として成長できる可能性が大きくなるということです。
なるほど、「人としての成長」。
素晴らしい機会だ、体育会。
じゃあ俺って自分の弱さと向き合って、所謂「人間的成長」を得るためにサッカーをしているのか?
いや、そうじゃない。
少なくともサッカーをやっている最中に「自分の弱さと向き合って人として成長する」ことを目的としてやっていない。
サッカーが好きでサッカーが上手くなったと実感できるのが喜びだからやっているし、
とにかく試合に勝ちたいからやっているはず。
自分の目的はたった2つ。
1 、サッカーが上手くなってより高いレベルでプレーすること
2、チームに貢献し、チームが勝つこと
危ない危ない。
誤解して欲しくないのは「人としての成長」を否定するわけでは全くなくて、サッカーを追求した結果として個人的には得たいものだということです。
目的は人それぞれ、
自分の目的はどこにあるのか。
こういう時期に差し掛かり物事を理屈で考えてしまいそうになる自分、抽象的で答えのない大きなものを考えることで返って中身のない、浅はかな自分になってしまわないように戒めとして残しておこうと思います。
色々なことを考えることができる年齢になり、ごちゃごちゃと理屈を考えシンプルで大事なことを忘れてしまいがちになる。
だからこそこの世の中「初心忘れるべからず」という言葉が重宝されるんだと思うし、こうした言葉の意味を字面として知っているだけでなく、自分の体験や考えたプロセスを通して少しだけ理解することができたと感じれる機会が増えたのが自分にとって結果として得られた「人間的成長」かもしれないです。まだまだこれからですが。
言語化もめっっちゃ大事ですが、言語化して満足して終わりではなくシンプルに大事なところをなおざりにしてないか、忘れそうになった時に問いかけてみようと思います。
長い文章でしたが、読んでいただきありがとうございます。
今シーズンも折り返し地点を過ぎ4年生とサッカーできるのも残り僅か。
必ず優勝して昇格しましょう!
次のブログは無類のサッカー好き、「鹿女」の1年生マネージャー池田穂波です!乞うご期待!