[在部当時のこと]
高校受験に失敗したことで親から高校時代サッカーを禁止され、小、中のみしかサッカー経験のなかった自分にとって、体育会サッカー部というのはとても敷居が高く、入部したのは4月も終わり頃だったと記憶しています。はじめは体力的について行けず、離宮周りのペース走では集団から遅れる常連だったことをよく覚えています。
チームとしては、1年次は東京都1部(8チーム編成)の中の下ぐらいの位置にいて、展開次第では降格もありえるというチーム状態の中、入れ替え戦で辛くも1部残留でした。
2年次は全体としてやや層が薄くなり、オフサイドトラップを主とした戦術がリーグ戦初戦で破綻をきたしたことが響いて最後までペースを取り戻せず、2部降格という屈辱を味わいました。
3年次は4年生が3人という厳しい状況にもかかわらず今と変わらず東大と上智以外はセレクションで選手を集めるのが普通だったリーグの中で、こちらのペースで戦える試合はほぼ無かったと記憶しています。そういう中でもなんとか2部残留をすることができていたのは、ひとえにチームとしてサッカーに対するひたむきさがあったからだと自負しています。
4年次は序盤戦調子が良く、中盤に負けが続いたものの、最終戦に勝利すれば1部との入れ替え戦というところまでなんとか持ち込むことができました。しかし、珍しく秦野で行われた武蔵との試合では、上智の最期の砦として君臨していたGK伊藤のケガによる欠場が響き、2対0の敗戦に終わりました。
当時の上智は技術で勝てない分、お互いのコーチングや運動量で優った上での数的有利で対抗するという、およそ世間一般の上品なイメージとは真逆の泥くさいサッカーで上位校に対抗するしかなかったと記憶しています。しかし、ぐっとチームがまとまったときはいつも以上の力を発揮するので、特に上位校はやりにくい相手だったのではないかと今では思います。練習では走りのメニューが豊富で、相手に走り勝った試合では勝利を収めたことが多かったと思います。当時、目立つ選手と言えば、暁星出身である山崎さんや佐久間くん、スピードスターの地曳さん、熊谷くん、鎌田くん、ツボにはまったときにはものすごいシュートを決める筆内くん、1年からずっと守護神を務めた伊藤くんなどが印象に残っています。目立った活躍はなくても、他にもハードワークを厭わず、常に身体を張ってプレーできる選手が揃っているのが上智の強みだったと今でも思っています!4年間を通して、負けが多かったように思いますが、総理大臣杯では強豪である早稲田大学や駒澤大学、東海大学など後に日本代表の選手を排出するようなチームと同じ土俵で戦うことができたことは特に印象に残っています。
サッカーの面ではもちろんのこと、特に自分たちの学年は仲が良く、今でも自分が上京した時は集まって旧交を温める機会を持ってくれます。サッカーでの貴重な経験に加えて、一生付き合える大切な仲間を得ることができたという意味では貴重な4年間であったと言えると思います。

[現役に望むところ]
「在部当時のこと」でも書きましたが、現役の皆さんに望むことはサッカー部で過ごす4年間で一生付き合えるような仲間をつくってほしいということです。もちろん体育会でありますので、成績を残すことは大事だと思います。しかし、損得なく一つの目標めがけて努力できるのは、大学時代が最後となります。お互いに深く理解しあい、時には意見をぶつけ合いながら存分に楽しんでください。みなさんの健闘を長崎より祈っております。