[在部当時のこと]

74年、入学と同時に入部。68年のメキシコオリンピックでの日本代表銅メダル獲得で盛り上がった熱は冷めてサッカーはマイナースポーツに戻っていた。プロなどもちろんなく、暗黒の日本リーグ時代と人はあとから呼んだ。

当時上智は関東2部から東京都リーグ1部に落ちた翌年。4年生が14人、3年生以下は各学年5名前後。4年生に秀でた選手が多く、同年監督に就任された鶴岡さんは、このチームを走れるチームに仕上げれば関東2部に復帰できると考えられたと思う。とにかく走った。既に鍛え上げられていると見えた4年生をさらに鍛えるための練習を1年生にも課すので10数人も入部したであろう仲間はボロボロとやめていった。そして同期は5人になった。翌年はさらに走った。やはり1年生はやめていった。1年下の学年は6人になった。4学年あわせて20数人で、紅白戦がまともにできるかどうかという状況が続いた。

【よかったこと】

2年時の上南戦、キックオフ直後の超ロングシュートによる先制で相手の度肝をぬいて5-0の大勝利。

4年時に1年生の退部をなんとか免れてメンバーを残し、チーム力を保って一橋との入れ替え戦に勝って東京都1部に復帰したこと。

【悪かったこと】

4年時の上南戦で0-3の完敗。サッカー部史上、初めて上南戦での敗戦。

卒業時までまともにボールを蹴ることもできないような私がなぜ4年間サッカー部で続けることができたのか。上智大学サッカー部史に鈴木守先生が書かれていた「懐の深さ」であろうと思う。深い懐に受け入れていただいたこと、感謝に耐えない。サッカー部の歴史の中で大学を代表して戦える充実した4年間という期間を、微力であれ支え、関わってこられたことは私の中の誇りである。

[現役に望むところ]

是非、辞めないで続けてください。それまでひとつのことをやり通したことのなかった私は、4年間続けることを一つの目標に入部しました。走った経験は、社会に入って多少の苦しさには負けない気力を植えつけました。サッカー部の仲間とは今でも相変わらずいい仲間です。1・2年生の頃は言われたこと、できることをやり、4年生になるとある程度やりたいことができる。これも人生の一面の縮図です。教訓やいい点がたくさん詰まっています。

60歳を超えて、3年前からシニアサッカーチームに入ってサッカーを再開しました。心臓が急に止まりはしないか、ヘディングで脳卒中にならないか、アキレス腱が切れはしまいかと心配しながらですが、楽しくやっています。同じチームには小学校の高学年からサッカーを続けて50年以上という猛者がいます。上には上があるものです。