[在部当時のこと]
僕が入学した1995年当時、上智は東京都一部リーグに所属していました。対戦校はセレクションを実施しており、個人スキルが高い為、5-3-2で「守備的なチーム戦術」を取り、「引き分けでも良い、負けないサッカー」を掲げて、皆が同じベクトルを向いていたと思います。惜しくも関東大会進出は逃しましたが、5位という成績を残した先輩方は、僕らの目にとても格好良く映りました。
2年生時の1996年、この年は決して忘れられない出来事がありました。リーグ戦中にマネージャーの森朝子さんが亡くなられたことです。チームは最終節を残して下位に沈んでおり、勝たなくては残留が出来ない状況。とても快活で、いつでもチームを盛り上げ、そしていつもチームを支えてくれていた森さんの急逝に、部員一同、信じられない思いでしたが、夢途中の森さんの無念を思うと、「兎に角、勝つしかない。」と強い気持ちでチームが1つになりました。喪章を着けて臨んだ最終節の創価大戦。亥子先輩の2ゴールで見事勝利し、残留を決めました。4年間で一番嬉しかった勝利かも知れません。
1997年、この年は挑戦の年でした。読売クラブでも活躍された大渕龍介コーチを招聘し、攻撃的なサッカーへの進化を目指したのです。夏の沼津遠征では社会人チームに勝利するなど、結果が出ており、リーグ戦に期待を持って臨みましたが、緒戦の拓殖大に完敗すると、ずるずると連敗が続き、2部との入れ替え戦に回ることに。迎えた駒沢オリンピック陸上競技場での大東文化大戦。後半35分まで1-0でリードするも、そこから立て続けに3失点。無念の2部降格となりました。秋へのピークの持って行き方の難しさを痛感した年でした。
最終学年の1998年、「優勝しての1部復帰」を唯一の目標とし、スタートしました。春先は就職活動で4年生が練習に参加できないことも多く、下級生から不満も出たりと、チーム状況は芳しくなく、前途多難のスタートでした。その状況を打破するために、ミーティングを何度も開き、アンケートを導入するなど、広く意見を聞くことで、徐々にチームの統一が取れていきました。リーグ緒戦の成蹊大戦を2-1で勝利すると、チームは波に乗り、最終節を残して2位。最終節の相手は首位の帝京大。勝った方が優勝という分かりやすい戦い。前半に徳重の挙げたゴールを守り切り、1-0で勝利。その瞬間、優勝と、1部復帰を決めました。2部降格の悔しさを知る代がいる間に復帰を決められたこと、後輩たちに1部の舞台を残せたことで、嬉しい気持ちよりも、安堵感で一杯だったことを覚えています。
[現役に望むところ]
思った以上に4年間はあっという間に過ぎていきます。限られた時間の中で、様々な誘惑も排した中で部活動を行っていく訳ですから、目的意識を高く持ち、悔いのないように、思い切り愉しんで貰いたいです。1部での躍動、期待しています!