[在部当時のこと]

全くのサッカー無名校出身、その上高校から始めた私が、1972年4月の入学後、真田堀の土手から、サッカー部の練習を見ていると、部員たちは、ゴール前でシュートをふかし、ボールは、ゴールの上をはるかに飛んでいく。そんな練習を見ていると、私にもできるのではないかと勘違いしてしまった。

いざ、サッカー部に入ると先輩との技術格差は明らかで、1対1では、ボールにさえ触れられない有様であった。後で聞くと、全国大会の経験者もおり、さて、これで続けられるかと不安になっていたところ、新入生歓迎コンパでは、先輩によるビールの連続攻撃(今では許されないが)に耐え、これならやれそうだと変な自信がついた。ただ、下手だった分、練習を重ねるごとに、少しずつ体力がつき、技術も上向き、練習にもついていけるようになってきた。

秦野の合宿では、芝生のグランドで初めてサッカーができて嬉しかったが、光化学スモックにはまいった。また、嬬恋(群馬県)合宿では、練習場もさることながら(四方山で囲まれているため霧が降りてきてハーフラインより先が見渡せない、しかも簡単には逃げ出せない)、幽霊の出るような宿舎(廃校になった学校の教室を改装)と、思い出は尽きない。

4年になると、前年のレギュラーが多く抜け、自分にもチャンスが回ってきたので、体力のない私は、まず禁煙し、レギュラーを目指した。南山戦では、公式戦でただ1回の得点が、上智新聞にも掲載され良い思い出になった。リーグ戦では、開幕戦の強豪東京学芸大とは、ドローとなり上々の滑りだしではあったが、専修大学との試合では、真田堀での多くの応援にも拘らず、大敗となり、OBから叱責された。残念ながら、チームとして試合経験が少ない上に、戦力的に脆弱であったため、1部6位に終わり、何とか2部陥落を免れた。

当時は、サントスのペレが来日し、国立競技場に観戦に行ったり、真田堀のグランドではパルメイラス、北朝鮮のチーム、ヤンマー、永大産業などが練習する機会があり、すぐそばで、釜本を見た時は、足の太さにびっくりしたものだった。

[現役に望むところ]

在校時には、上3年・下3年の7学年と一緒にプレーすることができた。今では、その学年だけでなくサッカー部OBとの付き合いが、私の財産になっている。私は、偶然レギュラーになり、公式戦の厳しさと楽しさを知ることができた。今は、部員も多く、レギュラーになることも大変だと思うが、何しろサッカーを好きであってほしい。そして、上智大学サッカー部に誇りを持ってほしい。卒業してからサッカー部の良さがわかるから。

今は、現役の試合を応援に行くことを楽しみにしている。一生懸命走り、精一杯のプレーを見せて、感動させてほしい。