[在部当時のこと]

昭和47年に上智大学に入学。中学・高校とそれなりにサッカーをやっていたので早速サッカー部に入部した。当時上智は関東リーグの2部であったが、1部はともかく2部であれば私でもなんとかなるだろうと考えていた。その私の甘い考えは入部して直ぐに木端微塵に吹き飛んだ。なにしろ諸先輩のプレーが半端なく凄いのである。1対1でのボールキープの練習で1回も相手のボールを取ることができず、愕然とした思い出がある。その時の相手は清水東出身の先輩。当時のキャプテンは浦和市立出身と全国大会の優勝経験校であった。そのほかにも浦和、静岡等サッカーどころ出身者が多かったと記憶している。東北から出てきてボールは蹴れてもリフティングが下手という私にはやや場違いの感じはあったが、うまい先輩と一緒にプレーしていれば私も上達するはずとの思いもあって場違いは気にせず続けることができた。

体育会・運動部というとOB、先輩の厳しい指導が当然であるとの考えが圧倒的に多かったが、上智は非常に紳士的で、怖いと思うことは皆無であった。私も高校のときはいろいろやられました。サッカーの反則は非紳士的行為と言われるが、上智のサッカー部はプレー以外の面でもまさにフェアプレーを厳しく実施していたのである。(厳しい指導、いろいろやられたことの詳しい内容は最近の大学体育会報道に鑑み控えましょう)

リーグ戦の試合は現在と同様大変厳しいものがあった。残念なことに2年のとき関東リーグから降格となった。降格しても厳しい試合は続き、関東リーグ復活という目標はかなわなかった。降格した当時の都リーグ1部は駒沢、専修、学芸大、立教、東洋等と猛者揃いで、上との入れ替え戦もままならい状態であり、4年のときには褒められた成績は残せなかった。

[現役に望むところ]

私の学生時代と今の現役時代と比べると今の方がかなりボール扱いは上手であると断言できる。私も一生懸命練習していたのであるが、現在の学生とその差は歴然としている。

我々の時代には真田掘のグランド半面は365日サッカー部が自由に使用でき、練習環境は我々の方が優れていた。今の現役は外部のグランドで金銭を払っての練習を余儀なくされているが、東都2部から1部への復帰を果たしている。私は60直前までじいさんサッカーをしていたが、病の後遺症でボールを蹴ることができなくなった。今は観戦専門であるが引き続き現役の応援をしていきたい。