‘77年卒中迫です。諸先輩方を差し置いて1番に掲示されることになりました。

・在部当時の事
入部のきっかけは「大学でまともにサッカーをやりたい」という強い思いからです。
当時、関東2部に所属しているなんて全く知らず、上智では一番強い体育会
のクラブだとも知らずにです。 しかも同じクラスだったサッカー部員(小宮道夫)
がしきりに誘うのです。後で思い返せば、昼休みのライン引き、ネット張り、グラン
ド整備、試合時のボール運び、等々、猫の手も借りたいそんな思いからくる執拗
な?勧誘だったのかと。
入部したものの、勉強しすぎた?1年のブランクが長距離・短距離とも走ってはほ
ぼビリに近く、キックも上手くもないどうしようもない部員、多分上級生は頭を抱え
ていたかな?と。
でも6勤1休の練習・試合が自分を逞しくしてくれたのです。2年に上がる頃
はハーフまでのダッシュをやっても流す余裕が出来、長距離も中位につけることが
出来たのです。その間にはサブGKが怪我の為、急遽GKデビュー。夏の関西遠征
では堂々の?? 2軍デビューもありました。フィールドに戻ることはなく、卒部まで
GKを務めあげた次第。
正GK(岡本崇OB)の教えは「BK=今で言うDFに指示をし、動かして自分が
楽をすること=ポジショニングが良ければシュートレンジが狭まる、だからキャッチ・
パンチングが容易くなる」 「周りを常に見て見方に的確な指示をすること」であった。
試合で失点をすると何が・どこが悪かったのかを反省する日々であった。
ただ、4年間の苦い苦い思い出は2度も降格を味わった事。1年次には関東
から東都、4年次には東都1部から2部へである。多くを語りたくないが、自分らの
力の無さ、まとまりの無さの結果だったのである。

・現役に望むところ
我々のころと比較すること自体おこがましいのだが、幼少の頃から親しんでいるこ
ともあり、兎に角上手い、そしてテクニックを持っているのである。だが、メッシでもロナ
ウドではない。一人では突破も出来ないかもしれないし、2・3人をかわしてシュー
トに持ち込めるほどの技量も持ち得ていない。では何が必要で、何が足りないか?
それはチームとしての協力である。
「先を読むプレー、声を出して(君らが言うところの”しゃべって”)味方を動かす、助
ける、カバーに行く」これが出来ていないと感じる。
「言うは易し、やるは難し」かもしれないが、日々の練習で実践しなければ、試合
中に出来る筈もない。
4年になってからでは遅い、練習時も試合でもしゃべってしゃべってしゃべりまくれ!

次は’87年卒澤田正晴OBとは’12年卒荒木拓郎OBです。